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第5話 僕は天才!

2009年05月26日

私が子育てを振り返って、象徴的な苦い経験があります。

息子が幼稚園児だったころ、前後の流れは忘れましたが

「僕は、天才だ~!!」と叫んだことがありました。

今だったら、一緒にそうだ、そうだ。と大承認するところですが、
なんと私は 「めっそううもない!」と制したのです。
ネバベキ、世間の常識を絶対とし、それこそがしつけの最たるものとして育てて
いたのですから、なんの疑いもありませんでした。


私がいかになのも見えていなかったのかを代表する出来事です。

人間とは何か。
どこにむかって、どう生きたらいいのか。
本来の何より大切な人間に生まれた意味など思いもせず、
目の前のことに、あくせく生きていました。


「人間はことばである。ことばエネルギーが全ての現象を創るのだからことばが先なのだ。」

会話科学に出会い目からウロコのことばに遭遇しました。
人間の脳にははかりしれない可能があることもわかりました。


全ては、ことばがあるがゆえです。

息子の脳内のことばがスパークし、「僕は天才だ~!」と言わしめた人間の可能のすばらしい瞬間だったのです。


親は何気ない言動を通して子供の可能を押さえこんでいるのです。
「早くしなさい」
「ダメねぇ」
「バカだねぇ」


常生活の中で飛び交うことばが愛する我が子に乗り移って、
ますますその通りになるなど思ってもいないでやっています。

自分の会話が子供を創りあげているのです。


母親の使命って偉大ですね。  


Posted by nagai@福岡 at 08:00母としての目覚め

  第4話  プログラムとの出会い

2009年05月19日

私がNAGAIのプログラムに参加するきっかけは
息子と息子の友人のお母さんだった。

身内が主催しているからではない。

深いところで意図はあったのであろうが
「プログラムを受けないか?」
等のお誘いは一度もなかった。

めぐり合う縁の不思議さを思う。

実は、以前 小学校3年生~6年生対象の
チャイルドコースというプログラムがあった。


息子はその1期生であった。

その後、一緒に母と子が参加する場面があったが、見ていると小さい子の面倒をよく見て
リーダーシップを発揮していたのだ。

迷っている私に
「お母さん、受けたほうがいいよ!」
と、強く言ってくれた息子。

友人も
「子育て中のお母さんは絶対受けたほうがいい!子供ためよ!!」
と、強く語ってくれた。


2人の言葉がなかったら、
プログラムとの出会いはずーと、ずーと後になったに違いない。

2人は私と会話科学に出会わせてくれた恩人である。


・・・2人は今はここにいない・・・。

「モノなし、我なし、ことばのみ、ことばが全てのすべて」
この根本を一人でも多くの人にメッセージしていくとが恩返しになるのだと思っている。

言うのは簡単だが私の欲の強さはなかなかのもので
中々手放せず、しがみつき続けた。

我はどこにもいないと理屈では解かっていても、感情・気分がおさまらない。

自分の気分に乗っ取られたら、そりゃあ悲惨なものだが、
その頃は自分絶対、自分が正しいと思い込んでいるのだから始末におえない。

リーダー達はそれこそ、辛抱強く、ことばをかけ続けてくれた。
愛もことばだと言い切れるのは、愛にあふれたことばを限りなく頂いたからなのだ。


最敬礼の思いである。

  


Posted by nagai@福岡 at 08:00母としての目覚め

第3話 我が子  

2009年05月12日

子供の存在はそれだけで母にも子にも満たされた存在となるはずなのだ。

実際、自分がどんなに出来の悪い母であっても子供は誰とも比較しない。
絶対的に母を求めてくる。


このエネルギー感は母親を夢中にさせる。
私もまた、こんな充足感は初めてで、少々の子育ての大変さなんてどこかに
吹き飛んでしまう。
ありがたいと心底思った。

これが、我の小さな世界のことであると気付くのは、
まだまだ先の事である。




戦争中、特攻隊の若者達は「お母~さ~ん」と叫んで散っていったとか・・・

何処までも母親の存在は人類にとって素晴らしい存在である。
それは、自分が生んだ子血が繋がっているからではないのだとやっと思えるように
なったのは最近のことである。

それまで、とことんへばりついていた。

こんなに可愛い子がこの世にいるかと思い。
何をやってもかわいいいとしいばかりであった。



そのなかで、当然のようにしつけが入ってくる。

常識という名のもとに、ちゃんとする事を教える事も子育てと思い込んでいた。

やり方、方法でしても結果がでないことを私は我が子の子育てを通して痛感した。


もっと、もっと人間に生まれた喜びで満たしてあげればよかった。
一人一人、そしてもちろん正文君の中に内在する計り知れない可能の話をどんどんするんだった。


私自信が常識の会話にがんじがらめになっていた時の子育てだから
その言葉しか、与えることができなかった。

本当に申し訳なかったと思う。


この想いは他の人々と関わらせていただき、自分の誠実とエネルギーをかけて
人様の人生に違いを創ることで、いつか巡りくるのだと信じている。


我が子を手放したところから我々家族がやっと見えてきたと言える。

  


Posted by nagai@福岡 at 08:00母としての目覚め

第2話 喜びの日々

2009年05月05日

私は結婚してから、おもしろい事も、大変な事も
いろいろ体験してきた。

ご主人様が美食家だったので、折に触れいろんな店に連れていってもらったものだ。


地中海クラブ(クラブメッド)と言って世界的なリゾート地を知ったのもこの頃で
ニューカレドニアやフィージー島で南の島を堪能もした。

経営のサポートをするというのはなかなか大変であるが、
それもまた充実した時間だったといえる。

充分に幸せだったのだ。

ところが、何分の内なる奥に何かうまらないものを
感知していたのである。
それすらも何かわからないエネルギーがあるようなないような・・・・
といった感覚であった。



今、会話科学に出会ってみれば
それが何だったかは、明確なのだ。

「自分が何者かわかっていない。」

「お金儲けが成功とばくぜんとは考えているが、いったい何処に向かっていいのか
まるでわかってない。」

「人間として生まれた真意」

そんなこと、思ってもいなかったのだ。

ところが、こういうことがわかっていなくても
我が子が生まれてきた時、大変化が起きた
心の奥深くのスースーと風が吹いていたものがピタリととまった。


それほどに満たされ、充足された恍惚感であった。

実際には、3時間おきのおっぱい、おしめの取替え
そして、お風呂・・・。

冬の寒い日の授乳は大変なはずなのだが、一つ一つが喜びであった

生まれてきただけで、子供は親にはかりしれないを与えてくれる


子供の成長とかわいらしさはそれだけで
親孝行とも言われるが
存在そのものが、周りを力付けてくれるエネルギーは
赤ん坊の凄みだと思う。




正文が3ヶ月の頃、私のおっぱいは出なくなった。
すぐに、粉ミルクを買いに走ったが

なんと、正文君はミルクを決して飲もうとはしなかったのだ。

哺乳瓶の先を舌でプイッとはじき出してしまう。
瓶先をいろいろ試してもダメだった。

母親としておっぱいを出し続ける試練が始まり、歩き出す1歳2ヶ月まで続いた。

これもまた、私に母親として成長させてくれたことである。

  


Posted by nagai@福岡 at 08:00母としての目覚め