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第14話 会話コンタクトエクスタシー

2009年07月28日

プログラムの中でエクスタシーをどんな時に体感したか?
の質問があった時、Sex以外に出てきたのは、子供を生んだ瞬間でした


あの時思い返せば、一切の理屈はなく全てに対して感謝が溢れ
横にいる分身はお世辞にもかわいいとは言えないクシャクシャの顔なのだけれど
果てしなく、愛しく、しびれるような恍惚感が私の全身をおおっていたのです。
今、会話科学に出会って「人生はシンプル」を体感し始めています。

人生は誰に向かって、何の為に、何を言うのか  
・・・そして結果は?
   


それだけなのだと、明確なコーチを頂きます。

そして、ことばを持つ人間が会話を通して出会っていく時
エクスタシーといえるエネルギーコンタクトが交流します。

「あ~通じあったな・・・」

という微弱エネルギー位を実感している私は
もっともっとエネルギーアップをしてエクスタシーコンタクトをたくらんでいます。

出産の喜びは愛にあふれた分身への畏敬の念ならば
会話によっていくらでも分身を現し未来につなぐことが出来るのです。 




どんどん、乗り移っていきましょう。



ここにきて、人生の仕事が私の中で足が地についてきました。


  


Posted by nagai@福岡 at 08:00母としての目覚め

第13話 真実を知っている事と、真実者として生きる事!

2009年07月21日

リバースライフの極意はデジタルクリエイションだと言われています。
私の場合、どうしても忘備録の域を出ていないなと思っていました。


昨日、関原さんと会話していて、それは当然だと胸落ちしたのです。

本当に母を完了していないのですから
無からのひらめきが現れようがないのです。



 「きちんとしなさい」 

オーバーボイスし洋服を着て歩いているのです。

ずーとネバベキできちんときちんと生きる事に全力だったわけです。


実は息子の正文君、みごとにだらしない姿を見せつけてくれます。

くつは脱ぎっぱなし。
電気はつけっぱなし。
服は・・・。
部屋のごみ・・・。



しつけひとつまともに出来なかった母親として彼に申し訳なく思っていましたが
私の内話の現われでした。


「真実とは・・・」とたくさん知っていてそう生きているつもりになっていただけで
真実者として生きることとは大変な落差です。

「自分とは誰か?」
「自分とは何者か?」
「何のためにどう生きるのか?」



この原点の問いに立ち戻ります。


それにしても、母親の会話の乗り移りはすごいです。

生半可な探求では本当の完了と感謝にはいかないぞと気を引きしめています。


  


Posted by nagai@福岡 at 08:00母としての目覚め

第12話 ことばエネルギーに乾杯!

2009年07月14日

映画「ロッキー・ザ・ファイナル」
推選されて、仲間と見に行ってきました。


場面、場面で感動がこみ上げてきます。

後で、知ったのですが 主演のシルベスター・スタローンは30年前自らシナリオを書き上げ売りこんだのがあの有名な初演「ロッキー」だったのです。
創作者でありチャレンジャーです。

この映画、彼や彼の仲間が言ったことばが見るものに揺さぶりをかけてきます。見ている間中、清々しい感動の中で「やっぱりことばなんだ」と確信させられるのです。

ふるいたたせるのも愛に目覚めるのもチームとして結果を現すのも
ことばしかないのです。 


すばらしいこたばがちりばめられて、胸を打っていきました。

その中でも、彼が息子と会話するシーンはそのまま社長と正文君とだぶってしまいました。


「たとえ何があっても俺はお前を愛し続ける。
俺の人生のかけがえのない宝だ。
だが、自分を信じなきゃ、自分の人生じゃないぞ。」



ロッキーのことばを聞きながら、今は修行に出ている正文くんを1日も早く

社長の側で共に生きる道へ歩ませなきゃとはやる気持ちの中で決意を強めた日です。
  


Posted by nagai@福岡 at 08:00母としての目覚め

第11話 ことばを持つ人間は皆、天才だ!!

2009年07月07日

我が家のリビングルームの壁に正文君の誓約書が張ってあります。

3項目、どれも守られていません。


なぜ、それをずーと張っているのか、これは私自信のへの直視でもあるのです。

彼の言動も、社長やスタッフの愛情をいっぱい受けて、とても穏やかになってきました。

時折、用事があって電話をかけます。

時差でかかってきますが、「ありがとう」とか「ごめんなさい」という
ことばが会話の中にでてきます。

最後に私は
「何をしていてもいいから、誠実にね」と言って電話を切ります。


母と子の会話は一体です。
私の会話体がチェンジしなければ、彼もまた同じです。
まぎれもなく、お師匠様なのです。


忘れられないことがあります。
マー君が3歳頃、彼は
「僕は天才だ~!」とはしゃいだことがあります。

「天才だなんてめっそうもない!!」
世間の会話どっぷり、会話科学も知らない私はたしなめました。

今からみれば私は大変な暴言を使ったのです。

ことばの可能に目覚めたら、
それこそことばを持つ人間は誰でも天才なのです。


只、知らないのです。
ことばエネルギーが全てを創りだしていることを。
ことばを生かす道もわかっていません。


私は正文君に本当に申し訳なかったと思っています。

全てを受け止めて、深く大きく見守っていきます。

そして、
愛もお金も健康も幸せも全てことばなのだ
ということを人々へ乗り移っていきます。

  


Posted by nagai@福岡 at 08:00母としての目覚め