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第2話 喜びの日々

2009年05月05日

私は結婚してから、おもしろい事も、大変な事も
いろいろ体験してきた。

ご主人様が美食家だったので、折に触れいろんな店に連れていってもらったものだ。


地中海クラブ(クラブメッド)と言って世界的なリゾート地を知ったのもこの頃で
ニューカレドニアやフィージー島で南の島を堪能もした。

経営のサポートをするというのはなかなか大変であるが、
それもまた充実した時間だったといえる。

充分に幸せだったのだ。

ところが、何分の内なる奥に何かうまらないものを
感知していたのである。
それすらも何かわからないエネルギーがあるようなないような・・・・
といった感覚であった。



今、会話科学に出会ってみれば
それが何だったかは、明確なのだ。

「自分が何者かわかっていない。」

「お金儲けが成功とばくぜんとは考えているが、いったい何処に向かっていいのか
まるでわかってない。」

「人間として生まれた真意」

そんなこと、思ってもいなかったのだ。

ところが、こういうことがわかっていなくても
我が子が生まれてきた時、大変化が起きた
心の奥深くのスースーと風が吹いていたものがピタリととまった。


それほどに満たされ、充足された恍惚感であった。

実際には、3時間おきのおっぱい、おしめの取替え
そして、お風呂・・・。

冬の寒い日の授乳は大変なはずなのだが、一つ一つが喜びであった

生まれてきただけで、子供は親にはかりしれないを与えてくれる


子供の成長とかわいらしさはそれだけで
親孝行とも言われるが
存在そのものが、周りを力付けてくれるエネルギーは
赤ん坊の凄みだと思う。




正文が3ヶ月の頃、私のおっぱいは出なくなった。
すぐに、粉ミルクを買いに走ったが

なんと、正文君はミルクを決して飲もうとはしなかったのだ。

哺乳瓶の先を舌でプイッとはじき出してしまう。
瓶先をいろいろ試してもダメだった。

母親としておっぱいを出し続ける試練が始まり、歩き出す1歳2ヶ月まで続いた。

これもまた、私に母親として成長させてくれたことである。

  


Posted by nagai@福岡 at 08:00母としての目覚め

第1話 36歳の転機

2009年04月28日

 

私は俗に言う高齢出産で、一人息子を出産した。

36歳の時であった。

それまでずーと仕事をしてきたので、出産を期に生活が一変したと言っていい

この子は後に正文君と名付けられた。


彼のお父さんが仏教語の中から「八正道」
これは、お父さんの名前の利正の正ともかけられている。
それに、文殊菩薩知恵を象徴するところから「正文」とすばらしい名前がついた。



彼は、私に超親孝行を二度もしてくれた。


まず一つめは、私の許に子供として生まれてくれたこと。
私が親になれたことなのである。




それまで、主人の仕事をサポートしてきた。
夜間の経理学校に通って簿記の資格も結婚後に取った。
受付の電話番やこまごまとしたこと一切をやりながら、
ずーと会社と関わって、仕事をしていきたいと思っていたのだ。



計画的でない突然の妊娠であった。
お腹が大きくなって来た頃、事務所にも人が育っていたので一切から手を引いた。
出産、子育てにのめり込んでいった。


自分の心境の変化にも驚いたものだ。


妊娠7ヶ月目の時友人宅のトイレで少し出血し、なぜか気になって
タクシーを呼んでもらった。


行きつけの産婦人科病院に行くや、そのまま絶対安静を言い渡され仰天入院となった。

1週間位の入院を経て、気を付けながら、いよいよ間近となり



1986年9月21日正文君はこの世に生をうけた。

もう一つの親孝行は、次の機会に・・・・




  


Posted by nagai@福岡 at 08:00母としての目覚め

プロローグ

2009年04月21日

「妻よ、母よ、本当の使命に目覚めよう!」


 2009年4月10日ライトメッセージより~



会話科学を生活化することは本来難しいことではない。


喜びなのだ。


ひとつ、「声・ことば・意図」という言葉を聞かれたことがあるだろうか?


元気よく明るい声で自分から挨拶する。

はっきりとしたことばで相手を力づける。

意図を持って会話する。


これを意識し、実践するだけで生活は激変するはずだ。


人の話をよ~く聞いて、承認のことばを贈る。人は力づく。


夫や子供や親たち、身近な人達の中心となって時には仏さまのように、時には天女のように



元気も笑顔も創りだせるのが妻であり、母である。


我々がいう調和社会の原点は足元にあると思う。

しかし、自分の家族だけよければいいというちゃっちい世界にもっていってしまうからもったいない。


人間としてことばを持つ醍醐味を存分に味わえる立場にいるのに生かしきっていないのだ。


過去の会話の中で、区別もなく 怒り むさぼり 焼きもち 勝ち負けに明け暮れる。


我が子は可愛い、愛しいに決まっている。



我が子だけに執着する時、大事なものが見えなくなる。


体験者は語る、である。



我が子というのは、自分が生んだ子 だけを言うのではない。


「ことばがすべてのすべて」の真実に立場をとるとき、


親の会話に牛耳られ、自分が何者かすらわからず ましておやどこに向かって生きていいのかわからず

のたうちまわる人類はみな我が子である。


我が家庭だけよければでなく、まず我が家族とでも徹底して会話しているのか、調和しているのか、真に力づけ合えてるか。


見方を変えれば母という立場、妻という立場は大きな使命があるのだ!


小さく見くびってはならない。


自分の言動が世界を変えるのだ。

調和の原点を荷っている自覚に立とう。


未来を創る子供と一番深く関わっているのだ。 心しよう!

  


Posted by nagai@福岡 at 08:00母としての目覚め